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シルクハット

更新日:2021年4月15日





全てが、もう終わりかな?と思い巡らしているときは、

すべからく心許ない心境になっている。

ただその時だけの慰めのように、すぐさま淋しさに変わる。

世阿弥の「この世は夢よ只狂へ」とは、何と的を得た言葉だろう。


何気に歩いていたナンシーの街角に、閉店セールの帽子店があった。

小ぢんまりしていて、時代遅れの感がいがめない。

なかを覗くと、えッ?!

今どき、山高帽子やシルクハットが山積みになっている。

嬉しさに震えた。

思わず中に入り、手にとった。

さっそく値札をみると、42.50ユーロ。マルセイユ製。


まず山高帽を被ってみる。

老主人がやってきて、サイズが合いそうなのを選んで呉れるも、どれも私には大きい。

諦めようとしたら、主人が「大丈夫」と、

店の奥へ持って行き、何やら細工をしてくれている。

被ってみると、丁度いゝ!

決めた。決して上等なものではないのがいゝ。

普段でも気にせず、少々気取った気持ちになりたい時にと、大きな紙袋を持ち帰った。

帰り路、少々浮いた気持ちに輪をかけたシルクハットよ!

普段ちょっと、とはいくまい。

お洒落に縁のない私の日々に、それは憧れのように存在するのだから。



「永遠に『新青年』なるもの」(神奈川近代美術館)を見に行く。

チラシでは、雑誌をやぶって金髪女性が顔を出している絵の表紙なのだけど、

元町公園のなかを歩いていくと、あッ、シルクハットが一つポスターの中央にある。

もしかしたら、渡辺温のものじゃないか、との予感あり。

近づいてみるが、文字が小さく読めない。

中に入り、見ていく。

小栗虫太郎の原稿やら夢野久作の『氷の涯』の挿絵、

あゝ、『あやかしの鼓』、稲垣足穂の短篇『瓶詰奇譚』も展示してある。

初山滋や竹中栄太郎の挿絵もいゝ!

手元にある一冊だけでは計り知れない、リアルな『新青年』の世界に胸躍られていると、

その先に、渡辺温の縁どりしたモーニングとシルクハットが目に入った。

やっぱり!

絹張りの美しさ。内側に青糸でイニシャルを刺繍した写真が添えてある。

谷崎潤一郎への原稿依頼の封筒の筆跡がいい。

初めて見たが、やはり、文字はその人を現す。

もうそれだけで世界観が感じ取れる。


帰宅してさっそく薔薇十字社から出ている作品集を開いた。

実は、まだ札幌にいた頃、初めこれと同じものを、

古物商「上海リル」の真理子さんが貸してくれたのだが、

読んでいくと、どうしても欲しくなり、

結婚して、東京へ出た彼女に頼んで、神保町の古本屋で探してもらったのだった。

彼女からは、ジャンゴ・ラインハルト、アルバート・アイラー、阿部薫の音楽や

内田百閒の『冥途』、萩原朔太郎の『猫町』など、たくさん教えてもらった。


つくづく出会いの大切さを知り、懐かしさが道草を喰わせる。

渡辺温は、映画シナリオを懸賞応募したところから、その道へ入っている。

作品集には、小説のほか、いくつもの映画シナリオがあり、ずいぶんと影響を受けた。

小説もすごく良くって、『アンドロギュノスの裔』、『可哀想な妹』、

シナリオでは『影』をコピーして持ち歩いたくらいだ。

さて、久々にシルクハットにちなみ、短篇『シルクハット』を二度読み直した。

渡辺温自身、畳敷きの仕事場に、モーニング、シルクハット姿で通っていたという。


兄の啓助の述懐には、

「ガス燈の片明かりの中を飄々として行きつ戻りつするする彼は、所詮、

地球上の何処にも安住し得ない孤独な詩人のシルエット以外のものではなかった」とある。


彼はきっと、虚空に色彩をほどこした「空想式モダン煙草」を喫っていたに違いない。





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