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『放浪と懐郷』自説

生きている心

死んでいる心

それを どうして聴きわけよう

はばたく気配や 深い沈黙 ひびかぬ暗さを

『生きているもの・死んでいるもの』茨木のり子


実は私の今の齢が亡くなった父の齢で、昨年の夏くらいから何となく自選集のDVDを出したいと思い巡らしていた。



父が亡くなり、実家で母と3ヶ月暮し、東京に戻って撮った『夜のフラグメント』。もうこれで映画をやめるつもりで、映画作りのきっかけともなった寺山修司『田園に死す』のロケ地を辿り、ついには北海道へ渡り母をたずねた『ロンググットバイ』。美容院に行き、髪を整え、若い時の着物を付け撮影に挑んでくれた母がひとこと「置きみやげだよ」と云った言葉が残る。それから十数年を経て、ひとり暮しの母をたずねた『東京零年』をリストアップした。


『東京零年』は、当初サイレント上映だった。その時観に来ていた無声映画伴奏者の柳下美恵さんから、彼女の本郷教会での上映イヴェントに誘われた。彼女が即興したピアノ伴奏の印象がずっと残っており、今度はこちらからお願いした。音楽を主張することなく、ただただ、さいごのさいごまで映像にしがみつきながら、指先を鍵盤に流れるように這わせる姿は美しい。無声映画に寄り添う姿勢に、伴奏のありかを見せられた気がする。ほんとうにお願いして良かった。


アルプの作品に『夜の凝視』というのがあることを知った。ポーランドのワルシャワに数日滞在したホテルの下の広場に、コペルニクスの座像があった。ひと月前に眩暈で倒れてから起きて寝るまで目と頭が定まらない。ふらふらして、また倒れそうな嫌な感じを引きずっての旅だった。初めて行くところだし、8ミルカメラとフィルムを5本だけ持って行った。すぐに鞄からカメラを出して「いざ、ワルシャワよ!」とはいかなかった。それでも目に留まる情景を、あッ、あッ、あッ、と撮らずにはおれない。ファインダーをのぞき、シャッターを切るのだけれど、その小さな窓(ファインダー)から見詰めるとふらふらして、ああーッ、とすぐ立ちくらんで仕舞い、息を整え、ふたたびのぞくといった、何とも情けない撮影状況となった。コペルニクスの像を見ながらくらくら、手元ぶれぶれで、それでも撮っていた。以前のようにはいかないことを痛感させられた。ゆっくりピントを合わせてなんて苦痛で、まア、どんなふうになろうと、これが最後の映画になる、諦めの心情が走った。ナンシーに戻ってからは、出歩くのが不安で、臆病になり、ほとんど窓際に椅子を置き、じっと外を眺めることが多くなった。手元に8ミリカメラを置きながら、日に数コマ廻すだけで、先のことを思いやると、ただ心細くなり、溜息ばかりの暗い気持の日々が続いた。夜も眠れず、1〜2時間おきに目が覚め、暗闇を見続けることが多くなった。病院からのめまい止めを飲み続けても、ふらふらふわふわ感はおさまることがない。



教会の仕事を終えて、夜毎、星を見続け、発見した自説も世間に認められることなく、百年が過ぎたコペルニクス。何も発見できなくとも、夜を見続けた日々のあてどない心情があいまった今、もう何も映っていなくてもいい。むなしくシャッターを押すだけでの私でいいとさえ思った。そうして出来たフィルムを日本に持ち帰り、藤口諒太くんに音楽を頼んだ。お気に入りの楽曲を提案し、彼の音楽と音響で、「音の映画」にしてもらった。当初、予定はしていなかったが、彼のスタジオで話をしているうちに、荒木経惟さんの「ものを作る人間は、常に新作を用意しなきゃ」の言葉を思い出し、やはり現在をいれなきゃねッ、と急遽加えることにした。さて、どうだろう?もしそこにささやかなる進歩があるとすれば「消滅にちかいかたちでなければならない(タルホ)」。


山田勇男 2022年 1月 14日 3時50分



2019年10月 ワルシャワにて 撮影風景(上)とコペルニクス像(下)


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