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「こんな世の中に誰がした」

日本に戻って、コロナ検査は陰性、のち自宅隔離3日目の夜になる。

ふと思ったのは、どこか、まるで、竜宮城から帰った浦島太郎の心境だ。

長いような、短いようなこのひと月半。

過ぎてしまえば、時間が消えていく。


今さらだけど、確かに、今、この世に生かされて、こう窓の外を見やれば、

まるで天下泰平とでもいいたそうな、のんびりした光景が目に入る。

こんな時に、とも思ったけれど、思い切って渡仏し、

なんとか実現に辿り着いた、

26回目のナンシー国際映画祭だった。

ギャラリ-の入口は開けっ放しで、手洗い自動消毒機を置き、マスクは必須。

入場者が4人になると外に出て空を見上げる。

人が触れたペン、椅子、販売物等は、次々にさっさと消毒する(日本流)。

話す距離を意識しながら、それでも語りたくてしょうがない人は、

口が動くたびに下がるマスクを上げながら。

そんな状況で10日間、午后2時から夕方6時までの4時間。


地下はスクリーンを置き、DVDになっているものを順々に、

時には気分次第に、連続的に上映した。

席はフタツ。

湿った地下には、常設の除湿器ががあるだけがから、

自宅から持って行った空気清浄機は大活躍だったと思う。

テーブルにおいた日本からの飴玉(塩、抹茶、千鶴甘酒)は好評。


作品は2017年にストックホルム。2018年に前橋に続く、3回目の巡回となる。

まるでフィルムのひとコマひとコマように、距離を作らず並べた。

映画祭の関連イベントだからか、毎日10~20人以上が切れ目なく、じっくり見てくれた。

反応が意外にも似通っていた ー 詩、夢、旅、瞬間や美についての感想。

恥ずかしくて、ここでは書けないけれど、

私が人の作品を観るときに基準としていることに近いことを、

自分の作品に対して言われたのは、

どこかむずがゆいことであった。

色んな方がいるが、

私はこのようにギャラリ-で自作と対面すると、

いつもどこか客観的になる。

山頭火が旅先の庭で、俳句や日記を書いたノオトを燃やして、

残るのはたったこれだけの灰か、と記したことを思い出す。

なんだかんだと云われながらも、ここまで続けていると、

やはり、どうでも良いとは思えず、

ただ、どこか、この世の儚さを思わんばかりだ。

霊的認識を持つ者にとっては、

可視の宇宙は幻影か(より正確に云えば)誤謬である(ボルへス)。


photo by Raphael Rodrigues (https://raphaelrodriguesphoto.46graus.com/portfolio/)

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