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    2019年2月1日〜21日★ NORTHERN IMPRESSION展覧会に寄せて【小林俊哉 X山田勇男】

     

    小林俊哉【明けない夜】2/1-2/10 

     

    取り返しのつかないことを取り返すために。

     

    『雨の散歩』

    「森のなかの散策で

    ぼくは傘を広げたい

    すべての木をぼくの傘の下に

    ・・・木が濡れないように。  ユルゲン・ボルター」            

     

    この詩は私が福島原子力発電所の爆発事故後、初めての雨の日に思い浮かびました。

    2011年3月11日この国を襲った大地震と大津波によって起った福島原子力発電所の爆発事故のその瞬間を私はテレビで観た時に「これは取り返しのつかないことになってしまった。」「日本の終わり、世界の終わり」だと思いました。その時私の全身から力と血の気が引きました。でも今、現在私は事故の前と変わらず生きています。そして私は作品の制作をし発表をしています。

     

    「海に浮かぶ森」といわれた日本が原子力発電所の爆発事故による放射性物質の拡散により広大な範囲が汚されてしまいました。国土の70パーセントを森に包まれ、私達国民のナショナルアイデンティティにも強い影響を与えている森が元の森に戻るのには何十年、何百年要するのでしょうか。それは元には戻らないのかもしれません。なぜなら、放射性物質の汚れは何をもってしても落とすことは出来ないからです。それは、「森の死」を意味します。でも、森では春になれば緑でいっぱいになり、花も咲きます。しかし汚れてしまっているのです。

     

    そして、もうひとつ思い浮かんだ詩です。

     

    『瀕死の森』

    「今や森はひそかに死に向かおうとしている

    葉叢にまどろむは声なきメランコリー

    わたしたちの子供の世代の産む子らは何を受け継げばよいのだろう。

    苦しみにあえぐ、哀しみの放牧地と化した国が、、、

     

    彼らは二度とこの喜びを味わうことはない、

    わたしたちがこの常緑のモミの森で感じた喜びを。

    彼らの希望、憧れも、願いも、努力もなにもかも

    始まる前に、もう終ってしまったのだ、、、

     

    青ざめた草地に哀しみの花が咲く、

    憂いを帯びた微光が枝の奥で揺れている。

     

    彼らはこの緑の大聖堂を二度と見ることはない

    言い知れぬ恐怖に私は襲われる。

    千年の長きにわたり囚われの身となる恐怖に... エルゼ・ボッツェンハルト=アイテル」

     

     

    そんな中、私は一人の人間として、また一人の作家として何が出来るのかっとずっと考えています。数十年後、今の子供達が、そしてこれから生まれて来る子供達が「あの時の大人たちのお陰で今、安心して暮らせる」っと言ってもらえるには何をすべきなのか。取り返しのつかないことを取り戻すために何をすべきか・・・

     

     

    明けない夜が続いている。

     

     

     

     

    山田勇男『睫二震エル光ノ雪』2/12-2/21

     

    「おお、焦茶色に焼きあがった凱旋塔よ、幼年の日々の冬の砂糖をまぶされて」

     

    ベンヤミン『1900年前後のベルリンの幼年期時代(抄)』より

     

     

    大好きなイナガキタルホの言葉に、芸術は幼な心の完成とある。

    或る書物で、幼年期は創作の宝庫と読んだこともある。

     

    フェリー二の映画に、明け方、寝床にもぐり込んでいるとき、

    外からの掛け声が聞こえ、起きて窓を見ると、ちょうどサーカステントを建てているところで、

    寝巻き姿のまま、テントのなかに入っていくくだりがあった。

    福永武彦の小説にも、夜の庭や夜の沼に、素足で歩き出すところがあった。

     

    さて、ここで、北国生まれの私の幼年期を辿ってみようと思う。

    何よりもはじめに浮かぶのは、雪の「印象」である。

    淡く微かに光る雪の印象が、走馬灯のように駆け回る。

    まるで、冬の蝶が舞い降りるように、

    大きな雪が、静かにゆっくり降っている中を歩いていた睫に、止まる。

     

    朝陽のなかでそれはチカチカ震えながらひかり、

    カレイドスコープのような世界に引きずり込む。

    ひとりぽっちで、ぽつねんと、広い静寂の白い原野のなかを歩いているとき、

    まばたきをするたびに目頭がくすぐったい、

    その感触と、あたりに何もなく、もの淋しく不安でいっぱいになりまがらも、

    目の前に展開する光景は忘れることがない。

    彼のなかで、青年になり、大人になり、老年になっても、その感覚が幽かに光っていた。

     

    アンデルセンの『マッチ売りの少女』を高校生のとき読んで、

    雪降る街角で寒さに震え一本のマッチを擦る少女を、

    わら半紙に描いたことを思い出させた。

     

    そして、老齢になった私のふたたび描く少女が灯すマッチの焔が、懐かしさを照らす。

     

     

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