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    ヤマヴィカ映画史26

    December 2, 2017

     

    (写真:コラージュ2017の部分図版)

     

     

    今年になって、ぼーッとしてはおられない性分のせいか、

    これまでのスクラップを眺めつつ、

    古本屋で見つけた5ユーロのなんとお徳なボロボロの

    1957年発行のDAS GAB’S NUR EINMAL(『ただ一度きり』)という

    無声映画時代のモノクロームスチル写真がたくさん載っている本の頁をめくっていると、

    急にコラージュをしたくなった。

     

    ハサミで図版を切り抜き、思いのまま貼っていき、

    なんとなくいい感じになったら次に取りかかって、

    それを時々ダンボールの中から出して眺める。

    何んかしっくりこない。

     

    そこで、追加したり、以前のものをはがし、

    違う図版をまた貼ったりを何度も何度も繰り返し、

    つくづく思ったのは、

    イメージというのは辿りつくことがない果てのないもの、

    という予感だった。

     

    以前読んだ、タルホの言葉を思い浮べた。

    当てにならないもの、どうにもならないもの、ただそれだけのものの

    持つ魅力が幼少年的エロティシズムであることを。

     

    独り、部屋でコツコツもの作りをする困難を、今更ながら思い返している。

    何を初めても、最初の楽しい気持ちがどんどん遠のき、

    不安と無力の宇宙箱でぷくぷくと泣き笑いの小さな息をしているのだ。

     

    つくづく自身の才能の無さを思い知らされながら、

    それでもどこか必死にその難関を突破したくて、

    もがき転げ、のたうち廻る。

     

    ささやかなひかりを手掛かりに、ふらふらと辿り、

    遥か遠くに見える祭りの晩の夜店の、

    アセチレン灯に照らされた色とりどりの玩具を見つけた一瞬の歓び似た束の間。

     

    あッ、在処はまだまだ遠い。

    夜の仕業に、思い疲れ、いつの間にか眠って仕舞い、

    嫌な夢のように目覚め、現前のリアリティーを知る。

    駄目だ、駄目だ、駄目だのダンス。

     

    そんな時、救世主が「私」にも現れる。

    他者である。

    他者のちからである。

     

    ★(続)

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