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    ヤマヴィカ映画史4

    August 3, 2017

     

    (写真:『スバルの夜』スチル)

     

    1977年。

    湊谷夢吉との発案から、銀河画報社第一回作品を進める。

     

    まず、大阪から来ていた藤木光次の自家現像の写真が好きで、撮影をお願いすることにした。

    「天井桟敷」を退団して札幌に戻っていた稲葉憲仁は、寺山の映画作品に関わった経験から、

    具体的な進行を含め、脚本を手掛けた。

    後に撮影を担当することになる北大生、阿倍崇文を紹介してくれる。

    編集を終え、音楽は藤木光次が通っていたジャズ喫茶「アイラー」の田川真理子が選曲した。

    如何せん初めてのこと。

    カメラを湊谷さん、映写機は「私」が、近所の円山質店で一緒に買った。

    フィルムを「私」が、現像代を湊谷さんが支払う。

    演出は皆で話合いをしながら、時に激論になった。

    基本的に「私」の思いつきを、湊谷さんが整えるといった共同演出で、

    すべからく二人の合意で進めていた。

    処女作『スバルの夜』から、8ミリ映画5本、16ミリ映画3本が、

    多くの出会いのなかで生まれた。

     

    1988年6月7日。

    湊谷夢吉の死によって、銀河画報社の活動は14年間で解散した。

     

    ★(続)

     

     

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