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    August 11, 2017

    (写真:『巻貝の扇』スチル) 

    「イメージフォーラム実験映画祭」の誘いで、

    初めての16ミリ映画『巻貝の扇』(1983)を撮ることになった。

    その年の5月4日に寺山修司が亡くなった。

    生前、寺山さんが札幌に来たとき、

    「山田、8ミリで撮るのもいいけれど、16ミリで撮ると良い。

    16ミリだといろんな映画祭に出せて、いろんなひとに観てもらえるよ」

    と言っていたことを思い出し、

    前作『銀河鉄道の夜』で照明を担当してくれた麻生知宏に相談した。

    麻生さんは、「イメージフォーラム」の定期上映会で発表したり、

    札幌で中島洋と「アンダーグラウンドファクトリー」を結成...

    August 8, 2017

     (写真:アムステルダム空港に到着後の筆者 2017年5月)

    老いた人たちは、独り静かに、夕暮れ刻のベンチに座り、

    黙ったまま、沈んだ太陽のあとを眺めている。

    或いは、眠れず、カーテンのない青白い夜明けの窓を見続けている、その情景。

    すべての物象が寝静まったどこそこは、

    亀に股がった浦島太郎の向かう未だ見ぬ海底の龍宮城の印象。

    思い出すのも遠い、むかしのことばかり。

    幼年期の記憶がおぼろげに浮かんで消える、

    極端な無邪気さと馬鹿馬鹿しさ。

    夢とは「苦しい忍耐を要する実践と映る」ことか。

    懐かしくって、切なくって、哀しいそれらを、

    どうずることも出来ない...

    August 7, 2017

    (写真:ヤマヴィカ・アトリエ 見捨てられコレクション)

    「ランボオ素描」を読んでいくうちに、「錯乱によって未知に到達すること」が問題になった。

    十八歳のときに観た『書を捨てよ 町へ出よう』のなかで

    「僕たちは僕たちの向かう方法のなかでしか生きられない」

    というE.M.シオランの言葉を引用していたが、

    いくたびも苦境に立たされたとき、呪文のようにつぶやいていた気がする。

    およそ世間を相手にできるほど表現が達者ではない。

    だから、自分の方法でしか生きられない宿命と向き合う苦悩だけが残されていた。

    寺山修司は言う。

    作品は作る側半分、見る側半分で成り立っ...