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山田勇男

ヤマヴィカ映画史24


(写真:撮影風景・遠藤彰と筆者・2016年パリ)

丁度、「写真集のような映画を撮ろう」と思った頃、写真家の遠藤彰と知り合った。

彼の写真を見せてもらうと、随分と好みの写真を撮っていて嬉しくなった。

彼は、写真を撮り続けていると映像にも興味が出てきたというので、

さっそく短篇『沼』(1999)を初めて8ミリカメラで撮影してもらう。

写真を撮る眼差しの力とでもいうのか、

映像への焦点のあわせ方に力強いものを感じた。

そして、余白のバランスが心地好かった。

それから、「私」にとって初めてとなるモノクロームの、

8ミリフィルムTri-Xを取り寄せ、撮影してもらったのが『PUZZLE』(2001)である。

彼は本来、写真家であるので、映像とは別に写真もずいぶん撮っていただく。

自家現像してもらったのを私がコピーで4倍くらいに拡大して映像化し、編集した。

映像としてFIXで撮るのではなく、写真を映像的に撮ることで、

その間(あわい)の気配をねらった。

一寸違う、そのちょっとのことを確かめたかったのだ。

そこで、思い出した。

「映画」に目覚める以前、友人が、彼の兄の影響で写真を撮り、

自家現像したものを見せてもらった。

その写真はそれまで見たことのない、これが「写真」かと思わせるものだった。

彼の周りにも、幾人もの自家現像する写真を撮っている人達がいて、

その写真の自由な印象が「私」を魅惑した。

さっそく道具を揃え、現像の仕方を教えてもらい、

仕事から帰って、夜の9時くらいから部屋を真っ暗にして、

真夜中まで「写真」に耽った。

翌朝、新聞紙の上に並んだそれらの写真を見ると、なぜか友人達のとは違う。

教わった通り、何回繰り返しても、どうも違う。

良くも悪くも、これが個性かと納得するしかない。

きっと、そのささやかなズレが必要なのかも知れない。

ランボオは云う、

「わたしというのは、一個の他者のことだ」と。

固有名詞が氾濫して、誰々でもあり、そして誰でもない、

「誰のものでもない行為」だけが取り扱われていく。

「私」を消すことによって「私」が浮かんでくる、

その「抽象性」こそ、私の映画の向かう方向性になるだろう。

今回の映画は、その「私」のフィルムスケッチと、

これまで被写体に行った同じ演出を「私」自身に問いかけることにした。

遠藤彰に撮影をしてもらうことで、

もうひとりの「私」であり他者でもある「私」が相対し重層する映画にしたい。

さて、これは、まだ思いである。

★(続)


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