ヤマヴィカ映画史21


(写真:セーヌ川沿い撮影風景)

2016年5月。

遠藤彰に電話をした。

このプライベートフィルムに、

もうひとりの他者を介入させることで、「私」を客体化させたいと思った。

新聞社に勤めている彼に、一週間の休みなどとれるのだろうか。

考えても仕方ない。

思い立ったら、電話をかけずにはおれなかった。

ちょうど、有給休暇がとれるというので、およそひと月後、

パリで待ち合わせをした。

着いてすぐ街に出て撮影という、時差ボケを無視した強行スケジュールである。

休みなく撮り終えてからのフランスワインが救ってくれれば良かったのだが。

2日後にランボオのゆかりの地、シャルルヴィルへと向かった。

そして、すぐさままた撮影に入った。

3日間あちこち歩きまわり、なんとか納得のゆくものができそうな気がしてきた。

最後の日は雨にあたりながら、隣町まで歩いて撮影をした。

さすがに終えた時はぐったりだった。

これまで遠藤くんには4本の短編のお願いをしていた。

プレゼンテーションのために撮影を頼んだこともある。

スチールでもお世話になった。

いつもふたりでとことん飲んで、とことん話しをした、

その「ぎりぎりの姿」が、いい意味で反映してきたと思う。

技術だけのお願いではなく、意識の持ち方、考え方の了解が必要だった。

それは単なる慣れ合いではないことが大事だと思う。

理屈を超える共通感覚がなければならない。

あっという間の撮影期間だったけれども、

この映画にとって有意義なものになったと思う。

「私」はずうっと、技術を超えたところの、その姿勢をみたい。

いいかえれば、

「精神」のありかである、

「感覚」のありかである。

★(続)


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