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ヤマヴィカ映画史16


(写真:著者の影ーもうひとりの「私」、2017年9月、ルーマニア)

実のところ、似ようとしたって思うように似ない。

まだ若い「私」に向かって、友人の兄が云った。

「いくら似せよう似せようとやっても、

けっきょくのところ、とどのつまり、最後は変ちょこりんのどっちでもないものになる。

それが個性といえば個性なのかわからないけれど、

まァ、そんな考えたって仕方ないから、好きだと思ったらとことん好きなようにやるしかない」と。

いまここで、「私」は遠いところにいるもうひとりの「私」に戻ってきたのか、

戻ってしまったのか解らないけれど、

渡独とランボオの再々度の逢瀬で、

いまさらやっと「夢の棲む場所」をもらった気がする。

もう「私」などどうでもいい。

出来るだけ、ただゆっくり静かに、此の世を眺めていること。

20歳過ぎたばかりの頃の夢を思い出した。

いつもの友人のアパートへ行く道だった。

丁度、寿し屋の暖簾の前で、一歩またいだ途端、

その間が割れて、股が裂けそうになり、目が覚めた。

「あッ、どちらにも行けないな」と思った。

★(続)


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