(写真:『冬の旅』(8mm, 2010)より長沼の風景)
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ヒトそれぞれに顔が違うように、心の有り様も違う。
農家で作られた人参、大根、馬鈴薯の類いを見てきた「私」には、
後になって、工場で作られた皆一緒、皆同じ、の類いを前にした違和感は、
理屈では解るが、なじみ易さの点で、
ひとつひとつ違うモノやコトに、親しみを覚えた。
環境の違いと言ってしまえば当然だけれど、
子供心に、
そのたったひとつであることの自覚、
たったひとつでしかない認識、
を持ったことは、
無意識であれ、今は良かったと思う。
もの作りに限らず、物真似から入っていくのは今に変わりないが、
いずれその枠から少しずつはみ出していくことは自然であり、
そして、仕方ないことだと思う。
普遍性について巡る。
タルホではないが、「誰にも似ないように」との意識もある。
どこの国の博物館でも、矢じりは同じように見えた。
そこから生活文化、芸術、と細分化されていくと、
どんどん個性が発揮されてくる。
使い易さ、便利さ、美しさへ淘汰されていくモノやコト。
そういった中で「私」を確かめる。
「私」はいるのか、
「私」は在るのか、
そして、「私」はもういないのか、と。
★(続)