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山田勇男

ヤマヴィカ映画史15


(写真:『冬の旅』(8mm, 2010)より長沼の風景)

ヒトそれぞれに顔が違うように、心の有り様も違う。

農家で作られた人参、大根、馬鈴薯の類いを見てきた「私」には、

後になって、工場で作られた皆一緒、皆同じ、の類いを前にした違和感は、

理屈では解るが、なじみ易さの点で、

ひとつひとつ違うモノやコトに、親しみを覚えた。

環境の違いと言ってしまえば当然だけれど、

子供心に、

そのたったひとつであることの自覚、

たったひとつでしかない認識、

を持ったことは、

無意識であれ、今は良かったと思う。

もの作りに限らず、物真似から入っていくのは今に変わりないが、

いずれその枠から少しずつはみ出していくことは自然であり、

そして、仕方ないことだと思う。

普遍性について巡る。

タルホではないが、「誰にも似ないように」との意識もある。

どこの国の博物館でも、矢じりは同じように見えた。

そこから生活文化、芸術、と細分化されていくと、

どんどん個性が発揮されてくる。

使い易さ、便利さ、美しさへ淘汰されていくモノやコト。

そういった中で「私」を確かめる。

「私」はいるのか、

「私」は在るのか、

そして、「私」はもういないのか、と。

★(続)


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