山田勇男2017年8月5日読了時間: 1分ヤマヴィカ映画史5 (写真:トレーヴ(トリア)の大聖堂) ★稲垣足穂の『一千一秒物語』のような映画を撮りたいと湊谷さんとアレコレ話をした。それは、「気配」を描くことだった。あるようでない、ないようである、あの感覚である。 今になって思えば、意気込みの強さにも程があると恥ずかしくもあるが、今もってそのモチーフにおいては変わりない。経験を重ねれば、必然、ものごとに慣れていく。「不安と恍惚のアンビバァレンツ」に常に身を置くことは、どこか震えながら、つま先で立つ、ぎりぎりの姿をさらすことだ。 ★(続)
(写真:トレーヴ(トリア)の大聖堂) ★稲垣足穂の『一千一秒物語』のような映画を撮りたいと湊谷さんとアレコレ話をした。それは、「気配」を描くことだった。あるようでない、ないようである、あの感覚である。 今になって思えば、意気込みの強さにも程があると恥ずかしくもあるが、今もってそのモチーフにおいては変わりない。経験を重ねれば、必然、ものごとに慣れていく。「不安と恍惚のアンビバァレンツ」に常に身を置くことは、どこか震えながら、つま先で立つ、ぎりぎりの姿をさらすことだ。 ★(続)