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山田勇男

ヤマヴィカ映画史5


(写真:トレーヴ(トリア)の大聖堂)

稲垣足穂の『一千一秒物語』のような映画を撮りたいと湊谷さんとアレコレ話をした。

それは、「気配」を描くことだった。

あるようでない、ないようである、あの感覚である。

今になって思えば、意気込みの強さにも程があると恥ずかしくもあるが、

今もってそのモチーフにおいては変わりない。

経験を重ねれば、必然、ものごとに慣れていく。

「不安と恍惚のアンビバァレンツ」に常に身を置くことは、

どこか震えながら、つま先で立つ、ぎりぎりの姿をさらすことだ。

★(続)


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