
(写真:リヨンのリュミエール広場にて 2016年6月)
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1972年9月。
閑散とした真昼の、札幌の繁華街(飲食街ススキノ)にある
ディスコ「ゴーゴークラブマックス」で
寺山修司長篇第一回作品『書を捨てよ 町へ出よう』の映画上映会があって、
胸を震わせながら見た。
初めて、これが「映画」かも知れない、と実感した。
いきなり始まったと思うと、観客=「私」に向かって、
暗闇から現れた若者が青森弁で挑発的に語りかけてくる。
この映画には、詩と幻想とエロチズムが、そして既成の映画に対する質問が、
いっぱい詰まっていた。
中盤あたりだったか、レインコートを着たサッカー部の主将が、
イタリア映画音楽が聞こえる路地の暗闇のなかで語り出す。
「ーーーー映画が終わってしまうと白いスクリーンだけが残る。
白いスクリーン、白いスクリーン、白いスクリーン」
すると、画面が急に真っ白になり、チカチカ震えている。
愕然とした。
映画とは、白いスクリーンなのだと稲垣足穂が書いていたが、
映画のなかはいつも何かが写っているものだと思っていたのに、
からっぽの世界。
あッ、墓無い。
白いスクリーンのなかに「私」が、ぽつねんと、
ずっとこのまま置いてきぼりにされるような、
たまらなく悲しい気持ちになり途方に暮れた。
★(続)