『イメージの織物』始末記


ナンシーの旧市街の古本屋でアルザスの写真集(1972)をみつけた。

色灼けしたモノクロで、パラパラめくってみると、いつか見たことがあるような懐かしい光景がいくつもあった。気になりながらも、すぐには求めず、思い巡らせていた。いいなと思いながらもためらい、やっと決心していくと、もうそこには無かったということが、今まで幾度もあった。翌日手に入れ、ゆっくり頁をめくる。今、私は新しいものには全く興味がおきない。色褪せて忘れられていくような、消えてしまいそうなものに愛着を感じている。さて、藤口諒太君との二人展では何を作ろうか考えていた。そんな折、ナンシー市立美術館を久々にのぞいたらLES ADAM展をやっている。この町出身の彫刻家で、所狭しと、等身大の白い裸体がずらり並んでいる。"ハダカノチカラ”とでもいうべき説得力だった。町を遊歩していると古切手屋があり、中に入るとびっくり。棚には世界中の切手が収納されていて、80年続く老舗だった。フランスの切手をあれこれと手に入れた。彩色のため、隣にあったMont Blancの店でインクを二色求めた。そこで思い付いたのが、アルザス地方の見知らぬ町を歩きながら、芭蕉や蕪村のように俳句を詠んで、それを貴女に送るという体裁にした。風景写真には、アンリ・ルソーが描く自身の影を入れているように、私の影を入れた。ただの風景写真だけでは色気がない。エロテックな裸体。そこで、以前、人魚の絵を描く資料として買った『1000 Nudes1839-1939』という本から風景に似合うものを選び、断切り鋏で切り抜き糊で貼付けた。諒太君へのリスペクトとして、彼が以前、エリック・サティの「Vexatuions」を毎日続けて840回弾いた楽譜を、40等分し、それぞれに入れようと思ったが時間が足りなく断念。展覧会タイトルの「イメージの織物」は、38年前『美術手帖』に紹介文を書いてくれた西嶋憲生さんの引用。どうもアレコレ印象に残っているものの引用ばかりで、これらの結果「引用の織物」じゃないか。そう、『引用の織物』だって、宮川淳の美術評論の本のタイトル。総てにおいて、いいな、と思った戯れのコラージュに過ぎない。もちろん展示は、タペストリーのように見せることにした。

山田勇男 2021.11.25  pm 12:25


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